挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

伊那食品工業 取締役会長
塚越 寛 氏

(役職は取材当時、現在・最高顧問)

つかこし・ひろし
1937年生まれ。肺結核により高校を中退し、地元の木材会社に就職。58年、業績不振の伊那化学寒天を引き継ぎ、寒天の通年生産を目的に設立された伊那食品工業に「社長代行」として入社。以後、原料価格に左右されない寒天の安定供給体制を確立し、新商品開発に取り組んで市場を開拓。83年に同社社長に就任、2005年に会長。創業から48年間、増収増益を続ける。グッドカンパニー大賞グランプリ受賞(2007年)をはじめとした数々の賞を受賞。著書に『リストラなしの「年輪経営」』(2009年、光文社)など。

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

遠きをはかる「年輪経営」が社員を幸せにする

創業以来48年連続で増収増益を続け、寒天メーカー・シェアトップの伊那食品工業。
実質的な創業者として同社を育て上げ、明確な思想と経験に裏打ちされた「年輪経営」を提唱する。
トヨタ自動車の豊田章男社長をはじめ、多くの財界人が共感する、その経営哲学とは──。

会社決算は3年ごとでいい

 アメリカのトランプ大統領が、企業の決算発表を四半期から半期に変更したほうがいいと提言して話題になっていますが、私は半期どころか3年決算にするべきだと以前から言っておりました。
 上場企業は四半期ごとに決算を義務付けられているわけですが、そのための労力はかなりのもので、会社経営にとってマイナスが少なくありません。幸いわが社は上場していないので、その義務はありませんが。
 四半期ごとに区切ると、決算を意識して短期の利益を追い求め、中長期的な取り組みがおろそかになります。その典型はアメリカのリーマン・ブラザーズの経営破綻です。2008年に64兆円もの負債を抱えて倒産しました。その数年前まではサブプライム関連商品で莫大な利益を出し、経営者は10億円を超える収入を得て、社員でも年収3000万円クラスは当たり前だったというのだからあきれます。
 特に食品を扱うメーカーにとって、四半期や半期で業績を評価されることは適切ではありません。食べ物は季節ごとに変わりますから、利益が出にくい期もある。少なくとも1年通期で企業を見るべきでしょう。
 実は、わが社は20年ほど前に上場しないと決めました。いろいろと検討し、多くの関係者や証券会社にも相談しましたが、その結果、私の代では上場しないと決断したのです。上場すれば、株を持っている創業者は莫大な資産を得て、会社も多額の資金を得ることができますが、一方で意思に反した経営を行わなければならなくなると思いました。株主の利益優先となれば、社員の幸せより、株主への配当を重視し、最悪はリストラもやらざるを得なくなる。会社は社員の幸せのためにあるというのが私の信条ですが、それをねじ曲げられ、最終的に社員のためにならないと考えたのです。株式市場関係者や投資家たちと話をしたとき、誰も社員の幸せなどという言葉は口にしませんでした。代わりに株価の評価のために四半期決算は当たり前で、月次、日次決算さえ話題になりました。これでは会社がダメになると思ったのです。

会社は「終わりのないマラソン」

私が大事にしている二宮尊徳の言葉があります。
〈遠きをはかる者は富み 近きをはかる者は貧す〉
35年ほど前に私が「会社は永続することに価値がある」と考え始めた頃、この言葉に出会い、ハッと気づいたのです。短期間で利益を求めるのではなく、中長期的に遠きをはかりながら、「いい会社」をつくり、永続させていく。それが私の経営戦略となりました。わが社の社是は「いい会社をつくりましょう~たくましく そして やさしく~」というものです。「いい会社」と「良い会社」は別のもので、良い会社が売上や利益、株価、給料など数字を重視する企業であるのに対して、いい会社は数字だけでなく、社員、仕入れ先、売り先、一般消費者のお客さま、地域など会社を取り巻くすべての人びとに「いい会社だね」と言ってもらえる存在です。
 取引先に無理を押しつけて利益を上げたり、社員に苦しく嫌な思いを抱えて働かせたり、お客さまをだましたり、地域貢献もしない会社を「いい会社」とは誰も言いません。社員やお客さまのためにある会社は「終わりのないマラソン」を続けているようなもので、その途中に株主や投資家、あるいはアナリストたちが勝手にゴールテープを張って、「あなたが一着、あなたは二着」とやったところで、何の意味もありません。会社はずっとマラソンを続けているわけですから。短期間で企業の業績をチヤホヤしたり、おとしめるマスコミにも一因はあるでしょう。
 遠きを見ず、目先の近きに振り回されてしまうのは、企業の目的を「利益」と勘違いしているからでしょう。目的と目標は違います。会社の目的は「人を幸せにすること」であり、利益や売上を上げることはそのための1つの目標に過ぎません。この当たり前のことを見誤り、目的を見極められない人が最近、多いように感じます。
 ピーター・ドラッカー氏は『ドラッカー365の金言』(2005年、ダイヤモンド社)の中で、「目標の使用法」とタイトルし、こんなことを記しています。
「目標の使い方は、航空便の時刻表や飛行計画と同じである。時刻表では午前9時ロサンゼルス発、午後5時ボストン着であっても、ボストンが吹雪ならばピッツバーグに着陸して天気が収まるのを待つ。(中略)目標は絶対のものではなく、方向を示すものである」
 つまりは、目標とは目的を達成するための手段に過ぎず、途中で環境が変わったら、柔軟に変更してもよい。しかし、目的は変えてはいけないし、変わらない。だからこそ、経営者は目的を見失ってはいけないのです。

急成長は会社をダメにする

 目的を達成するには、目標を変えてもいいと言いましたが、いい加減な目標でいいというわけではありません。企業が永続し、社員や周囲の人を幸せにするには、利益を継続的に上げていかなければなりません。夢や希望は末広がりの中にあるので、右肩上がりで成長する必要があります。わが社は創業以来、48期連続増収増益で、ずっと成長を続けました。自己資本も充実し、ほぼ無借金経営です。寒天という地味な商品を、自ら市場を開拓しながら、ジワジワと育ててきた結果で、急成長せず、低成長を志し、自然体の経営に努めてきました。
 まるで、木の年輪のように少しずつ、前年より着実に成長していく。これが私の理想で、「年輪経営」と呼んでいます。幸い、こうした考えに賛同してくださる人も増え、年輪経営という言葉も広がってきました。
 年輪はその年の天候によって大きく育つときもあれば、小さいときもあります。年輪の幅は違っていても確実に広がっていく。年輪の幅は若い木ほど大きくなりますが、年数が経ってくると、幅は小さくなります。それが自然なのです。成長率はだんだん下がってきますが、幹自体は太くなっているので、生長の絶対量は増えます。会社も同じです。また、木々は無理に生長しようとせず、年齢は幅の広いところほど弱い。逆に狭い部分は堅くて強くなります。会社にも同じことが言えるでしょう。
 そのため、わが社にとって過去最大の危機は売上の急増でした。テレビの健康番組で寒天に含まれる水溶性の食物繊維が健康にいいという話が流されて、2005年に寒天ブームが起きました。ダイエットブームと相まって、需要が急増し、注文が殺到しました。無理な増産は控えてきましたが、お年寄りや福祉・医療関係者から頼まれ、海外から怪しげな商品が輸入される事態になって、やむを得ず、増産を決断。社員も納得してくれて、昼夜を問わず、総出で生産し続けました。
 その結果、この年の売上は前年比40%増と大幅に伸びましたが、結果は私の懸念どおりになりました。寒天ブームが一段落した翌年からは、売上が減り、利益も前年を下回って連続増収増益が途切れました。幸い、過大な設備投資などはしていなかったので、大きな痛手はありませんでしたが、その後遺症から脱するのに数年かかりました。やはり、急成長は会社をダメにしてしまう。
 この一件で、改めて年輪経営の正しさを痛感しました。大手スーパーから商品を全国展開しないかというありがたいお話も何回かいただきましたが、身の丈に合わない急成長はつまずきのもとになるとお断りしてきました。

肺結核と貧乏のどん底で人を知る

 私が人の幸せというものを真剣に考えるようになったのは、子供時代の境遇にあります。1937年に生まれ、8歳のときに終戦を迎え、この年、プロの洋画家だった父が40歳の若さで亡くなりました。残された兄弟5人の子どもを母は女手一つで育ててくれました。母はよく「父のような芸術家にならないでほしい。大人になったら一人前の暮らしができるようになってほしい」と私に言っていたものです。仕事に出かける母に代わって、私は小学生時代から、家事一切を引き受けていました。そのため、学校を休むことも多く、登校した後に家事のためにいったん帰宅し、また学校に行くということもありました。戦後、食べ物も乏しく、わずかにあった田畑を弟と耕したものです。
 何とか中学を卒業し、アルバイトをしながら地元の長野県伊那北高等学校に通いました。勉強する時間はあまり取れませんでしたが、幸い成績はよく、先生からも国立大学への進学を勧められました。しかし、過労と栄養失調から2年生のときに肺結核に罹り、その後3年間の療養生活を余儀なくされました。仕方なく高校も中退し、貧乏のどん底にありながら、病室で安静にしている以外には何もできません。大学に進学する同級生たちを横目に、自分は一体どうなるのかと思っていました。病室の窓から外を眺めては、歩いている人たちを見て、「太陽の下を歩けていいなあ」とうらやましく思っていました。
 つらく苦しい日々でしたが、それが私の人間としての基礎を築いてくれたのです。人の痛みや苦しみもわかり、人の情けも身にしみました。ささやかな希望を持つことがいかに大切かということもわかるようになりました。人にとって健康がいかに幸せで、その幸せこそが何よりも大切なものだと心の奥深くで理解したのでした。

21歳で伊那食品工業の社長代行

 病が癒え、私は義理の兄が経営する木材会社に就職しました。1年半後には子会社の伊那食品工業という寒天メーカーに社長代行という肩書で移りました。1958年のことで、まだ21歳の頃です。寒天メーカーといっても当時、伊那食品工業は社員がわずか十数人、工場は掘っ立て小屋で、機械が4台あるだけでした。設立して半年しか経たないのに、すでに赤字が膨らみ、経営危機に陥っていたため、「何とか立て直せ」と私が送り込まれたのでした。入社して驚いたのは、その頃では珍しい粉末寒天の製造に取り組んでいたものの、技術的にはお粗末なもので、私は自分で専門書を読み、生産機械を改良し、経理を整え、営業に走り回らなければなりませんでした。日曜祝日もなく、休みは正月の1、2日ぐらいのものでした。
 しかし、働けるだけで幸せで、この会社をよくしたい、社員が楽しく働き、取引先にも喜ばれる会社にしたいという思いだけでした。私は写真好きで、その頃から、借りてきたカメラでずっと会社を撮影し続けています。ボロボロの工場ながら、仲間と一緒に楽しそうに笑っている姿が残っています。なぜだかわかりませんが、当時から私は会社を成長させる自信がありました。自分ならできるという自信があり、毎日、工場の配管や機械を少しずつ改善しながら、いつの間にか社員が一枚岩になったような気がします。
 会社が成長するということは、必ずしも売上や規模の拡大ではありません。社員が前より快適になったな、前より幸せになったなと実感できることが成長です。幸せを感じるには、給料が上がったとか、職場がきれいになったとか、働きがいを感じる、制度など働きやすい環境が整っているなど、いろいろとあるでしょう。これらの実現と会社永続のバランスを取りながら経営することが大事だと考えています。

いまでも年功序列型の給与制度

 伊那食品工業の本社敷地は3万坪あり、「かんてんぱぱガーデン」と命名して、地域の人たちも自由には入れる公園にしています。自然を活かした緑の公園で、ここには本社だけでなく、研究棟などの他に、ショップ、常設ギャラリーのあるホール、健康パビリオン、レストラン、そば処、カフェなどがあり、年間40万人の来客があります。私がスウェーデンへ営業に行ったときに、その会社が豊かな緑の中にあり、こういう環境で働けたら社員も幸せだろうなと思い、1987年から整備を始めました。いまガーデン内にはゴミ1つ落ちていません。それは毎朝、役員も含めて社員全員が自主的に掃除をしてくれているからです。
 わが社の始業は午前8時20分ですが、ほとんどの社員が始業前には出社して整備や掃除をしています。もちろん、会社として強制などしていません。掃除だけでなく、高所作業車を使って枝の刈り込みなど本格的にやっています。社員の中には朝早く来られない人もいるので、後ろめたさを感じてはいけないと、掃除は就業時間内でいいからと言うのですが、それでも早く来てしまうのです。将来はガーデン一面に苔を生やし、「苔むす会社」をつくろうと話しており、実際に苔が生えつつあります。苔は整備が行き届かないと生えないし、生えるまでに時間がかかります。これは日々の仕事を大切にすることになり、日本唯一の苔むす会社を実現させたいと思っています。
 会社は運命共同体であり、私は社員を家族だと思っています。昔の日本企業は、どこもそうした考え方を持っていましたが、いつの間にか手段と目的を取り違えて、金儲けが目的になった企業が増えました。成果主義や能力給を導入して、経済的な効率を求めていますが、目先の効率は長期的には非効率を生み出すのです。わが社はいまでも年功序列型の給与制度を守っています。子供が成長し、出費がかさむ40~50代の生活を支えることは、子どもに等しく教育を受ける機会を提供することになるのです。社員への貸付制度もあり、多くは30代で持ち家を建てています。そのほか社員向けのがん保険などいろいろな支援制度があり、こうして社員のモチベーションを上げることが、実は経営の最大の効率化なのです。
 また、ノルマも経費削減も求めませんが、人に迷惑をかけないことだけは徹底して実践しています。マイカーで通勤するときは、渋滞を招かないように右折で本社敷地入らないとか、スーパーや病院などに行ったときは他のお客さんを優先して建物から離れた位置に駐車するとか、外食したときも皿を片付けてテーブルを拭くなど、言わなくても自然にやれる社員を誇りに思っています。

110年の老舗酒蔵を買収

 2014年11月に長野県上伊那郡にある米澤酒造という酒蔵の経営をわが社が引き受けました。創業110年という歴史を持ち、「今錦」というブランドを持つ老舗です。なぜ、寒天メーカーが酒蔵を買うのかと話題になりました。伊那地域の活性化のためというのはもちろんですが、伝統的な酒づくりの技術を活かしながら、新しい会社づくりができないかと考えたのです。そこで、わが社としては8億円という少なくない資金を投じ、設備を最新式に入れ替え、空調管理やデータによる品質管理を取り入れました。試飲ができるオシャレな場も設け、ショップもつくりました。メーカーとして売ることにも力を入れているのです。戦後、小売りの力が強くなり、メーカーは弱くなりました。メーカーとして売ることを卸に任せるのは一見効率的ですが、長い目では力を弱める。だから、伊那食品工業では直販が基本なのです。
 米澤酒造でも、いい酒をつくって、直接売ることを実践していきたいと思います。直販は簡単ではなく、ブランド化が必要になります。「いい会社」だと周囲から尊敬されなければブランドは成立しません。米澤酒造でも地域貢献を含めてチャレンジしたいと思います。
 また、2018年4月から「信州たかもり熱中小学校」の校長に就任しました。熱中小学校というのは、元日本IBM常務の堀田一芙さんが中心となって立ち上げた廃校再生プロジェクト「NPO法人はじまりの学校」が運営しており、全国的に10校以上展開しています。企業経営者や大学教授、専門家、アーティストなどが講師となって、社会人が学べる大人の学校です。
 私は下伊那郡の高森町から頼まれて、趣旨に賛同し、ボランティアで手伝うことにしました。定員は100人ほどですが、すぐ定員に達し、教室に入りきらないぐらいの人気です。いい講師陣もそろっており、わが社の社員も参加しています。私は校長なので、直接教えるわけではありませんが、「忘己もうこ利他」の考え方を皆さんに知ってほしいと思っています。忘己利他とは天台宗の開祖、最澄の言葉です。己を忘れて他人を利する行為を心がければ、自分のところに跳ね返ってきて利をもたらしてくれます。その逆が「我利」。自分だけよければいいという考え方では社会はよくなりません。

100年カレンダーで命日を知る

 人生はたった一度で、やり直しはききません。家庭も大事ですが、人生のかなりの時間を費やす仕事や職場も大事です。そのことを若いうちから知ってもらいたいと、わが社の新人社員教育はスキルの習得など後回しで、「100年カレンダー」を見せることから始まります。
 これは、100年分の暦が1枚の紙に印刷されたもので、社内のあちこちに貼ってあり、社員は1日に何回か目にします。
 このカレンダーを前にして新入社員にこう言います。
「この中に、君たちの命日が必ずある。私のは、カレンダーの上のほうだろう。君たちはこのあたりかな。でも必ずこの中にある。ここに君たちの命日を入れてください。一度きりの人生をどう生きるか考えてみましょう」
 若いときには死をさほど意識しません。時間はたっぷりあると思っている。しかし、100年カレンダーに命日を入れることで、人生は限りあるものだと感じ取ることができるわけです。1度きりの短い人生だと思えば、1日中のんべんだらりと過ごす人はいないはずです。いつ人生が閉じるかは誰もわからない。だから、生きているうちに頭を使って、身体を使って、やれるだけのことをやらなければ損です。そして、自分が幸せになりたいと思ったら、忘己利他の心で、人に喜んでもらうことをすればいい。それがわかったら、人は幸せになります。わからないで死ぬほど不幸なことはない。
 会社はトップが変わらない限り変わることはありません。経営者はついつい虚栄心や自己顕示欲にとりつかれやすい。もちろん、これらがない人間はいないわけで、忘己利他を心がけてバランスを取るようにすれば、社員も自然に変わっていくでしょう。社員を変えたければ、まず経営者が変わらなければなりません。

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