挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

キヤノン電子 代表取締役社長
酒巻 久 氏

さかまき・ひさし
一九四〇年生まれ。六七年にキヤノンに入社。複写機、ワープロ、インクジェットプリンターなどの開発で手腕を発揮、九六年に常務取締役生産本部長に就任、セル生産方式の導入に尽力。九九年、キヤノン電子の代表取締役に就任。高収益企業に再生した。『リーダーのための伝える力』(二〇一四年、朝日新聞出版)ほか著書多数。

「経営の神髄は人間尊重にあり」

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

徹底したコスト削減・生産性向上策の裏には
人間を尊重する経営があり、
実質赤字であったキヤノン電子を優良企業へと変貌させた。
改革を断行した酒巻氏の手腕は、独創的な発想や経営で知られている。
四〇年前から働き方改革を推進し、近年は宇宙ビジネスにも進出する、
遥か遠くを見据えた視座、経営哲学はいかにして生まれたか。

危うい昨今の働き方改革

昨今、政府の主導で多くの企業が取り組んでいる働き方改革を見ると、日本がつぶれるのではないかと危うい気がします。本来の意味の働き方改革は、社員個々の能力を発揮させて、生産性を改善することだと思いますが、世の中では変えるべきことを変えず、変えるべきでないことを変えようとしています。やらなくてもいいことを完璧にやることが会社にとって一番よくないのです。

私はキヤノンの生産本部で働いていたときから、ざっと四〇年も働き方改革を考えていました。要するに勤務時間ではなく、成果で評価するべきであり、生産性向上のためには徹底して無駄を排除する必要があります。

しかし、当時はなかなか受け入れられず、一九九九年にキヤノン電子の社長になってから蓄積してきた考えを次々に実践しました。あの頃、キヤノン電子は実質赤字経営で、多額の借金と不良資産を抱え、売上高経常利益率は一・五%でした。この会社を利益率一五%以上で世界トップレベルの高収益企業に再生すると目標を立てたのです。

経営改革の順番は、以下のとおりです。
①コスト削減、経費資源の無駄を省く
②営業収支を改善し、利益優先に変える
③自己資本を充実させ、無借金化を図り、研究開発資金を確保する
④コアビジネスと技術を見直して強化し、変化への対応力を強くする
⑤顧客重視主義を徹底する

まずは、無駄を排除するため、「TSS1/2」という目標を打ち出しました。「Time & Space Saving」の意味で、時間、スペース、不良率、人と物の移動、電気使用量を従来の二分の一にすることを目指しました。無駄のないセル生産方式を定着させるために、工場内は疲労感のないぎりぎりの速さ、五メートルを三・六秒で歩くことを徹底しました。遅れると、ベートーヴェンの『運命』が流れるようになっています。この速度感で手を動かすことが最も効率的であることは実証済みで、生産性は従来の四倍以上になりました。二年半で「TSS1/2」目標を達成でき、二〇〇三年からは「TSS1/4」の新目標を設定、当初から比べれば八倍も生産性が上がったことになります。

考えるクセを身につけてほしい

ルールを守るだけでなく、動機付けも重要で、社員の意識を変えるために「ピカ一運動」を始めました。職場グループごとにテーマを設定し、改善に取り組みます。これまで「出前迅速(すぐやる課)一番」「新技術で一番」「あいさつ一番、やる気一番」「効率、機能レイアウト一番」などのテーマがありました。間接部門でも同様に厳しく無駄を排除しました。特にパソコンは無駄の“宝庫”で、メールやネットサーフィンで遊んでいる社員が多いことが調査でわかりました。現在、基本的に管理職は始業から一時間はパソコンの使用を禁止、メールでなく、直接相手に会って話をするようにしています。夕方六時以降は申請がない限り、社内ネットワークにつながるパソコンはすべて電源が切れるように設定されています。残業は特例で、業務時間内に終わらせることが基本です。ただし、新しい研究開発の場合は残業を認めています。会議は立って行うほうが効率的で短時間で終わるため、社内には立ち会議専用机を配置しています。いちいち部署ごとに全員集合せず、必要な最低限の人たちがさっと集まり、話し合って一五分程度で切り上げるほうが情報共有も進みます。

ですが、コストを削減するばかりではなく、かけるところにはお金をかけています。業務の生産性向上に寄与した社員には報奨の品を渡し、私が直筆で社員の家族に感謝の手紙も添えます。社員食堂も充実させ、料亭並みの品質のメニューを五〇〇円で提供しています。注文してからつくるのでおいしいし、野菜、ごはん、コーヒー、ジュース類はおかわり自由です。夜間に残業している社員は無料で食べることができます。利益還元も行い、ボーナスの他に、五月連休前、夏休み前、クリスマス前に現金を渡しています。プレミアムフライデーも社員の反対を押し切って導入し、早く退社して遊びや飲みに行くのではなく、自宅に帰り、家事を手伝うなど家族との時間を大切にしてほしいと思っています。普段やらない家事をすれば、創造性も高まり、仕事にも活きてきます。実際、二時間以上の生産性の向上がプレミアムフライデーのおかげで実現しています。

こうした一連の施策は、全従業員に「考えるクセ」を身につけてもらいたいと考えているからです。現状を認識し、反省するべきは反省し、自ら考えて行動する。こうした社員が増えれば、会社は伸びる。一方、自主性がない指示待ち社員ばかりだと会社はダメになっていきます。

生産性向上のカギを握るのは、従業員の意識改革と緊張感の持続です。緊張感を失うと、どんな生産方式でも効率が低下し、不良品の発生率も増えます。工場を見学すると、帽子を取って礼をしてくれる従業員がおり、礼儀正しい会社と思われていますが、私に言わせるとそれはダメな会社。緊張感を持って仕事に集中していたら周りの人間など目に入りません。最近頻発しているメーカーのデータや検査値偽装事件はトップ自身が緊張感のない証拠です。企業は上から腐っていくのです。

デジタル時代は中小・ベンチャーが勝つ

キヤノングループ全体の企業理念は「共生」です。すべての人類が末永く共に生き、共に働き、幸せに暮らしていける社会を目指すことです。私がキヤノン電子の経営を任されたとき、共生と相通じる考え方を持ったピーター・ドラッカー氏に学びました。

人間尊重を根幹とするドラッカー氏の経営思想をベースに、具体的な行動指針は一九九〇年前後に米銀行のシティコープを立て直したジョン・リード会長を参考にしています。私と同じ理系出身のリード氏は、「資産の縮小」「人員の削減」「不採算施設の閉鎖」「不要な子会社の整理」「採算の悪い海外業務の撤退」を実行し、理系的な発想で二つの戦略を打ち出しました。一つは縮小均衡に陥るのを避けるために、自社の強みのコアビジネスを強化して、将来の収益源を確保すること。もう一つは、メーカーでは当たり前だが銀行では馴染みのなかった営業収支を重視したことです。

私もリード会長と同じことをキヤノン電子で実践し、コアビジネスに投資して他を捨てました。いわば選択と集中です。東芝も選択と集中を行って失敗し、経営危機を招きましたが、それは選択できる人を育成しないまま選択したからです。実は、選択も集中も両方行える万能の人はエジソンやアップルのスティーブ・ジョブズ氏のような天才だけで、それほどいません。だから、選択と集中は別々の人材を組み合わせて実行するべきなのです。選択できる人は、鋭い先見性を持ち、新しい視点に立った評価や重み付けをできるタイプ。集中は強いリーダーシップを持ち、経営資源の重点配分を行い、長期的視野による育成ができる人。この役割分担を東芝はやっていなかったのでしょう。

同様に「マネジメント」と「リ―ダーシップ」も役割が違い、この二つは経営における両輪と言えます。マネジメントは経営秩序の保持を役割とし、ビジネス環境の変化に対応して計画と予算、組織化と人員配置を行い、コントロールしながら問題を解決していきます。

一方、リーダーシップは変革への対応役であり、経営環境の変化に応じてビジョンを設定し、人材選定と目的意識の共有を行いながら、動機付けとメンバーの鼓舞を行います。

マネジメントが戦術的ならば、リーダーシップは戦略的と言えるでしょう。現代は変化の激しい時代であり、いままでの一〇年と、これからの一〇年は大きく違います。ネット産業と生産業の融合が大きな社会変化を起こし、新技術開発が加速し、ニーズが多様化する中で、短期間の商品開発が求められます。まさしく、先が見えない不確実性が増大しています。

アナログの技術時代は、すり合わせ技術が重要で、開発期間も長く、熟練の技が必要でした。販売網構築にも長い年月を必要とし、そのため体力のある大手が中小・ベンチャーに勝っていたわけです。

ところが、現代のようなデジタル時代に移り始め、開発期間も次第に短くなる中で、必ずしも体力勝負ではなくなってきました。さらにデジタル化が進めば、誰でもつくれる単純化、ユニット化が進み、短期間で開発でき、市場に投入しても短期間で消えていく時代になります。こうなると、中小・ベンチャーのほうが圧倒的に有利になります。現に通信の世界ではモトローラが敗れ、ノキアも撤退しました。あのトヨタ自動車も安閑とはしていられないでしょう。

実は、この話を一五年ほど前に電機業界の社長たちの前でしたのですが、誰も信じず、「そんなことはあり得ない」と言っていました。そうした社長のいた会社はみなダメになっています。変化に対して変えていくべきことと、変えてはいけないことをリーダーは認識し、自分たちの企業が目指す姿と方向を決めていかなればならないのです。

相手の足下を照らす人が出世する

私はキヤノン電子の改革にあたり、目指すべき姿を決める際に、以下のような三つのことを根幹に据えました。

第一に、人間尊重の経営を守ること。つまり社員を大切にして、給与カットは最後の最後にする、仕事の成果を正しく評価する、仕事にやりがいを感じる環境をつくることなどです。

第二に、本業とコア技術を活かして、川下から川上への多角化を展開する。

第三に、すべての企業活動を地球環境保全のベースで考える。

この三つを、いまでも守っています。そのうえで、前述したように「世界トップレベルの高収益企業になる」「経常利益率お一五%以上」「TSS1/2」の三つを目標に改革を進めたのです。改革期間は三年で十分と考え、実際に三年で目途が立ちました。改革で生まれた資金を使い、レーザープリンター、ドキュメントスキャナーなどの既存事業に加え、情報セキュリティ対策サービス、小型三次元加工機、小型射出成型機、生ごみ処理機なども開発しています。

さらに、宇宙ビジネスにも進出し、キヤノン電子製の超小型人工衛星を二〇一七年、インドで打ち上げ、地球を撮影した画像データを次々と送ってきています。人工衛星のコストは現状の一〇分の一にまで下げないと民間活用は無理です。我々が宇宙産業の発想を転換し、人工衛星を民生品に変えていきます。一〇年前に数人で研究を開始し、いまでは一〇〇人もの技術者を投入しています。

私はキヤノン時代にインクジェットプリンターを開発しましたが、事業化するまでには周辺技術の成長を待つ必要があり、二〇~三〇年かかりました。複写機も巨人ゼロックスに対抗するためにカートリッジ式のドラムを開発し、重量も大きさも一〇分の一にして価格を下げ、ゼロックスに勝つことができました。宇宙ビジネスも同じで、生産方法を工夫すれば、原価を一〇分の一にすることは可能でしょう。

自動車王フォードは成功の秘訣を聞かれて「相手の立場で、ものを考える習慣を身につけること」と答えました。人や社会を助け、喜ばせる発想が創造力の源泉なのです。前例や知識、常識にとらわれていては真の創造はできません。創造力を養うには、誰から言われなくても他人の気持ち、要望がわかるように日々訓練し、習慣にすることが大切です。宇宙ビジネスもこれから真の創造が必要でしょう。

相手の立場で考えるには、本当の優しさが必要です。私の母は「情けは人のためならず」ということを、身をもって教えてくれました。思いやりはいずれ自分にも返ってくる。世の中のお母さんたちには有名大学に子どもを進ませるより、優しさを教えてほしい。実は、わが社の本社・工場がある埼玉県の秩父で、ある中学校の校長先生から学校運営に協力してほしいと頼まれ、生徒のお母さんたちを集めて話をしたことがあります。自分さえよければという考え方がはびこっているこの時代において、「社会で成功する秘訣は相手の立場でものを考える優しさだ」と話しました。前を歩く人が転んだら、「すぐ助けに駆けつけるようにお子さんを教育してください」とお願いしました。実はフォードに限らず、世の中で成功した経営者や研究者はみな同じ考え方を持っています。

組織のトップに立てる人になるために「ランタンセオリー」という理論があります。難しいことではなく、暗くなったら相手の足下をランタンで照らしてあげる人が出世するというわけです。GEを率いたジャック・ウェルチ氏も同じことを言っています。私はこれまで部下に接するときに相手を気遣うようにしてきました。相手のことを思えば、ときに厳しいことも言いますが、基本はほめて自信を持たせることです。けなす言葉は要りません。欠点を直すより、長所を伸ばすほうが早い。そして、常に見てあげること。それが最大の教育です。

江戸時代の女性俳諧師で諸九尼(しょきゅうに)という人がいます。庄屋の妻でしたが、旅の俳諧師と駆け落ちして俳句をつくるようになりました。その諸九尼の作品に「夢見るも 仕事のうちや 春の雨」があり、私の一番好きな俳句です。まさに夢を見るのも仕事のうちで、若い起業家には自分が本当にやりたいことを追求してほしいと思います。夢を持たないと企業も経営も長続きしません。

私のいまの夢は宇宙ビジネスであり、これを成功させて一緒にやっている若い人たちに成功の味を体験させたいと思っています。もちろん、無謀な投資はせず、社員の生活を守ることが第一で、無駄遣いもしません。投資の枠を決めており、社長が無駄遣いしなければ、社員も使わないものです。ところが、ベンチャー経営者でちょっと成功すると高級車を買ったりする人がいる。こういう会社はつぶれます。利益はいかに社員のために使うかが経営者の役割です。夢を見て、失敗を恐れず、何でもやってほしいのです。

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