挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

日本交通 代表取締役社長
知識 賢治 氏 第4回

ちしき・けんじ
1963年生まれ。同志社大学法学部卒業後、85年に鐘紡(後にカネボウ)に入社、化粧品部門に配属。98年、自ら企画立案した新しい化粧品ブランド「リサージ」の社長に就任し、年商140億円にまで育て上げる。2004年、産業再生機構の支援の下、カネボウから分離したカネボウ化粧品の社長に就任し、再生に尽力。10年、テイクアンドギヴ・ニーズ社長に就任。15年、日本交通社長に就任。

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

『苦境突破には何のために働くのかを考え抜きやり遂げること』

名門カネボウの危機を産業再生機構とともに再建し、その後もウェディングビジネスの経営を立て直す。
日本交通の直近3年は過去最高の業績を出す好調さだ。
だが、若い頃には働くことの意義に悩んだという。

産業再生機構の支援下で多くを学ぶ

1998年にリサージ事業が子会社化され、奇しくもその社長に抜擢されました。当時はまだ35歳でカネボウでは異例の人事だったようです。リサージを「顧客志向の理想の化粧品ブランドにする」という志を抱き、6年間仲間と一緒に頑張った結果、年商140億円のブランドに成長しました。当時、一つのブランドで100億円を超えるものは数少なかったと記憶しています。いまでも振り返ると、私の人生の中で最も楽しい時期でした。同じ志を抱く仲間が大勢いましたからね。しかし、リサージは好調だったものの、本体のカネボウはますます業績が悪化し、新聞などではどこに売却されるかが取り沙汰され、社内は悲惨な状況になっていきました。

入社以来、素晴らしい上司や仲間、部下に恵まれました。私はそんな多くの素晴らしい社員がいるカネボウが大好きでした。そのカネボウがいま燃え朽ちようとしている。もし私がカネボウのために何か役に立てるのなら身を投じたい。リサージの仲間との仕事を続けたいという思いも強かったのですが、それを捨ててでも、いざというときはやらなければならないと腹をくくっていました。まさに、意を決した「刀を抜いた状態」でした。

2004年、ついにカネボウは産業再生機構(以下、機構)の支援を受けることになりました。カネボウ本体から化粧品部門だけが切り離され、株式会社カネボウ化粧品として新たなスタートを切ることになりました。

あるとき、カネボウの社長秘書から社長室に来るよう連絡が入ったことから始まります。何か怒られるようなことをしたかなと思いながら社長室に行くと、そこに機構の方が同席されていました。新たな会社の人事の話だと直感でわかりました。「営業かマーケティングの責任者かな」と思っていたら、「社長をやれ」という話でした。まさに青天の霹靂です。一瞬驚きましたが、「まさにそのときが来た」と思い、「承知いたしました」と答えました。後で聞いたところによると、「少し考えさせてください」というように即答しなかったら、人選を見直すことになっていたようです。

私をなぜ社長に選んだのかということについての説明はありませんでしたが、機構のCOOだった冨山和彦さんの話によると、社員にヒアリングしたら特に若い社員から私の名前が挙がったそうです。また、カネボウ化粧品の課題や何をなすべきかをビジネスの共通言語やフレームワークで明快に説明できたこと、さらにカネボウのような歴史のある大企業の子会社の責任者は、ある種の「したたかさ」がないとできないが、子会社(リサージ)の社長としてそれなりの実績を出していたことが評価されたようです。

そもそも機構は2007年までの時限立法の組織でしたから、2年から3年という短期間で再建を成し遂げる必要がありました。経営にはスピードが重要ですが、テーマによっては時間をかけたほうがよい場合もあります。「本来は時間をかけてやるべきことだが、時間が限られている。どうするべきか?」。こうした「短期と長期のトレードオフ」の中での難しい判断が多かったように思います。

ページの
先頭へ