挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

日本交通 代表取締役社長
知識 賢治 氏 第3回

ちしき・けんじ
1963年生まれ。同志社大学法学部卒業後、85年に鐘紡(後にカネボウ)に入社、化粧品部門に配属。98年、自ら企画立案した新しい化粧品ブランド「リサージ」の社長に就任し、年商140億円にまで育て上げる。2004年、産業再生機構の支援の下、カネボウから分離したカネボウ化粧品の社長に就任し、再生に尽力。10年、テイクアンドギヴ・ニーズ社長に就任。15年、日本交通社長に就任。

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

『苦境突破には何のために働くのかを考え抜きやり遂げること』

名門カネボウの危機を産業再生機構とともに再建し、その後もウェディングビジネスの経営を立て直す。
日本交通の直近3年は過去最高の業績を出す好調さだ。
だが、若い頃には働くことの意義に悩んだという。

どんな仕事も人のため、世のためにある

大学時代は毎日、アルバイトと遊びに明け暮れ、授業にもほとんど出席しませんでした。勉強や部活で頑張っている友人たちに比べて「自分には何もやりきったことがない」という強い劣等感が、社会に出たら真面目に仕事をしようという気持ちにつながったのです。

1985年にカネボウ(当時の鐘紡)に入社すると、化粧品部門に配属され、大阪で営業を5年経験しました。その後、本社に転勤しましたが、営業の仕事は人一倍頑張ってきたのですが、勉強はしませんでしたし、本も新聞もろくに読まないような生活だったので、本社の社員たちが会議で話している内容はもとより言葉の意味さえわからなかったことがありました。このままではダメだと思い、一念発起し、猛勉強しました。経営書を中心に年間100冊の本を読み、新聞も3紙に目を通すようにしました。

1992年、29歳のときに企画段階から関わった新しい化粧品ブランドの「リサージ」事業が立ち上がりました。その部署に所属し、毎日遅くまで働き、それなりに充実した日を過ごしていました。ところが、働き疲れて帰宅し、一人になると何か満たされない空虚感に襲われるようになったのです。「一体何のために働いているのだろう」。だんだんその空虚感が深く広がっていく。「きっと偉大な経営者たちも同じように悩んだ時期があったのではないか」と思い、本田宗一郎や松下幸之助などの本を読みあさりました。当時読んだ本の中で、ハンセン病患者に身を捧げるために苦労して医師になった神谷美恵子さんの『生きがいについて』(1966年、みすず書房)に大きな衝撃を受けました。

こうした体験を通して、私は一つの答えを見出したように思います。「どんな仕事も人のため、世のためにある」。私は「世の中分業論」と言っているのですが、「世の中にはいろいろな仕事があり、その一つひとつが何らかの役割を担っている。皆が仕事を分業し、その役割を担うことで人は豊かな生活を送ることができる。だからどんな仕事も尊い」。そう思ったときに涙が止まらなかったことを覚えています。まさに心が救われたような思いでした。

仕事は「生活のため」「組織や社会のため」「自己実現のため」そして、「人のため、世のため」なのでしょう。

そのことに気づいた私は、自分も世の中に役立つ仕事をするために将来のキャリアビジョンを立てました。30代で事業を運営することを経験し、40代で会社の経営を経験し、50代で生まれ故郷の神戸に貢献する。そのために10年間分のカレンダーを用意し、毎年達成するべき自分の目標を書き入れました。さらに自分を追い込むため、40歳までの残り日数をカウントダウンする時計を2台購入し、1台を自宅に、もう1台を職場の机の上に置きました。目標の期限を毎日確認できるようにするためです。

欧米の大学では、「仕事の意味を理解し、自身のキャリアの目標を立て、そのために何をするべきか」ということが明確な学生が多いと聞きます。日本の教育でも、「社会に出て何をしたいのか」ということを向き合う時間を早い段階からつくるべきだと思います。

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