挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

アイロボットジャパン 代表執行役員社長
アイロボット・コーポレイション 副社長アジア太平洋地域統括
挽野 元 氏 第2回

ひきの・はじめ
1967年神奈川県横浜市生まれ。武蔵工業大学大学院(現・東京都市大学大学院)で超音波工学を専攻、修了後、92年に横河ヒューレット・パッカード(現・日本ヒューレット・パッカード)入社。2006年同社執行役員、米国ヒューレット・パッカード副社長。11年日本ヒューレット・パッカード取締役に就任。13年ボーズの代表取締役社長に就任。17年アイロボットジャパン代表執行役員社長に就任。18年4月からアイロボット・コーポレイションのアジア太平洋地域統括副社長を兼任。

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

『常識を覆し、新しい価値が求められる時代のリーダーの醍醐味』

ロボット掃除機「ルンバ」を開発したアイロボットは日本法人を設立、本格的な自社製品の普及に乗り出した。
ロボットを通じて世界を変え、人びとの生活をより豊かにしたい。
その思いで日本の市場拡大を狙うリーダーの役割とは何か。

大学受験に失敗し劣等感に陥る

私はこれまで、日本ヒューレット・パッカード(以下、日本HP)や音響機器メーカーのボーズなど外資系企業を歩いてきたので、若い頃から英語が得意だったのだろうと思われることが多いのですが、そんなことはありません。

日本HPに入社したときは、TOEIC 990満点中 390点しか取れず、社会人になってから英語を猛特訓するレベルでした。しかし、海外で働きたいという思いだけは、強く内に秘めていました。その念願がかなって、日本HPで欧州駐在の仕事の機会を得て、数々の異文化体験を経て、私なりに成長したのだと思います。そんな体験を通じた、リーダーシップや経営についての考えをお伝えしたいと思います。

私は神奈川県横浜市出身で、母方の実家は農家、父は横浜市の公務員でした。父は毎日定時に出勤し、定時に帰宅する規則正しい生活を送る家族思いの人でした。そんな父に感謝しながらも、自分の生き方はどうあるべきか模索しながら少年時代を過ごしました。実は、私の若い頃は劣等感の塊でした。高校時代は飛行機のパイロットになりたいと思っていたのですが、視力が悪くて断念。その代わりに航空管制官になろうと、航空保安大学校を受験しましたが、2年連続不合格でした。そして北海道大学を受験するもののこちらも2年続けて失敗し、当時はかなり落ち込み、自信をなくしました。

結局、自分の第一希望でない武蔵工業大学(現・東京都市大学)に入学し、そこでも悶々とした日々を送ります。当時はバブル経済絶頂期です。大学の研究室にはリクルーターの先輩たちが毎日のようにやってきました。自分の実力や価値がなくても就職はできる状況。このまま自分が流されることに不安を覚え、自分の人生のあり方を見直し、大学院に進学して勉強することを決めました。大学院での専攻は超音波工学。担当教授が超音波工学の大家で優秀な人でしたが、研究テーマに関しての私の提案に耳を傾けてくださり、のびのびやらせてもらいました。

しかし、修士論文の提出1ヵ月前に、担当教授から私の研究テーマに対する問題提起と新規性の欠落の指摘(いわゆるダメ出し)があり、すべての実験と検証をやり直すことになりました。当時はなんて理不尽なんだと非常にショックを受けました。しかし、いまから考えると、人の心の機微や、物事の進め方の本質を学ぶことができました。私に足りなかったのは頻繁な連絡、報告そして相談でした。

私の研究の中で、頻繁にHP製の自動計測装置を取り扱う機会があり、素晴らしいシステムだと感銘を受け、HPという会社に興味を抱くようになりました。こうして、1992年に私は当時の横河ヒューレット・パッカード(現・日本HP)に入社したのです。入社前には、研究開発職を希望していたのですが、パソコン関連の部署に配属されました。当時、パソコンと言えばNECと富士通の天下で、HPのパソコンは1ヵ月に2台売れる程度。そのうえ、上長は他部署との兼任で、メンバーも3人しかいません。会社の中でのパソコン事業のあまりにも低い優先順位に、なんて部署なんだ、入社しなければよかったなどと、タラタラ不満を言うような不良社員でした。

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