挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

アイロボットジャパン 代表執行役員社長
アイロボット・コーポレイション 副社長アジア太平洋地域統括
挽野 元 氏

ひきの・はじめ
1967年神奈川県横浜市生まれ。武蔵工業大学大学院(現・東京都市大学大学院)で超音波工学を専攻、修了後、92年に横河ヒューレット・パッカード(現・日本ヒューレット・パッカード)入社。2006年同社執行役員、米国ヒューレット・パッカード副社長。11年日本ヒューレット・パッカード取締役に就任。13年ボーズの代表取締役社長に就任。17年アイロボットジャパン代表執行役員社長に就任。18年4月からアイロボット・コーポレイションのアジア太平洋地域統括副社長を兼任。

「常識を覆し、新しい価値が求められる時代のリーダーの醍醐味」

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

ロボット掃除機「ルンバ」を開発したアイロボットは日本法人を設立、本格的な自社製品の普及に乗り出した。
ロボットを通じて世界を変え、人びとの生活をより豊かにしたい。
その思いで日本の市場拡大を狙うリーダーの役割とは何か。

ロボットを通じて「世界を変えよう」

いまや、いろいろなメーカーから一般家庭用のロボット掃除機が発売されていますが、その先駆けとなったのがアメリカのアイロボットが開発した「ルンバ」です。2017年4月に日本法人であるアイロボットジャパン合同会社が設立され、私が初代の代表に就任しました。

アイロボットは、1990年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の人口知能研究所にいたコリン・アングルなど3人のエンジニアが集まり、狭いアパートの一室からスタートしました。その後、さまざまな実用的ロボットを開発し、家庭用ロボットでは世界ですでに2500万台以上を販売しています。

創業者のコリン・アングルはエンジニアとして一流であるだけでなく、人間的にも魅力のある人で、周囲の人の話をよく聞き、気遣いをしてくれます。彼の部屋でロボットについて聞くと、まるで子どものように楽しそうに話すのでこちらも引き込まれてしまうので。
こうした創業者の精神がアイロボットのカルチャーを明確にしています。アイロボットにはカルチャーを表す5つのキーワードがあります。中でも私が好きなのが「Change the world/世界を変えよう」です。

私たちはロボットを通じて世界を変え、人びとの生活をより豊かにしたいと考えています。以前よりは一般家庭での普及率が上がったとはいえ、国内ではわずか5%足らずに過ぎません。私たちアイロボットジャパンの使命はロボット掃除機を一家に一台普及させることです。私は日本法人の代表であると共に、アジア太平洋地域を統括する立場でもありますので、日本以外の地域での事業拡大も視野に入れています。

現在、日本ではペットを飼っている家庭や共働きの世帯でのロボット掃除機の普及率はやや高いですが、こちらにもまだ伸びしろがあると考えています。窓拭きロボット「ブラーバ」も認知され始めました。日本法人ができたことで、日本のお客さまの声を反映した商品開発やカスタマイズも進んでいます。出荷台数が増えていくと、物流や倉庫の体制整備、お客さまのサポート体制の強化も含めて、業務の標準化と効率向上が必要になってくるので、それが喫緊の私の課題でもあります。

大学受験に失敗し劣等感に陥る

私はこれまで、日本ヒューレット・パッカード(以下、日本HP)や音響機器メーカーのボーズなど外資系企業を歩いてきたので、若い頃から英語が得意だったのだろうと思われることが多いのですが、そんなことはありません。

日本HPに入社したときは、TOEIC 990満点中 390点しか取れず、社会人になってから英語を猛特訓するレベルでした。しかし、海外で働きたいという思いだけは、強く内に秘めていました。その念願がかなって、日本HPで欧州駐在の仕事の機会を得て、数々の異文化体験を経て、私なりに成長したのだと思います。そんな体験を通じた、リーダーシップや経営についての考えをお伝えしたいと思います。

私は神奈川県横浜市出身で、母方の実家は農家、父は横浜市の公務員でした。父は毎日定時に出勤し、定時に帰宅する規則正しい生活を送る家族思いの人でした。そんな父に感謝しながらも、自分の生き方はどうあるべきか模索しながら少年時代を過ごしました。実は、私の若い頃は劣等感の塊でした。高校時代は飛行機のパイロットになりたいと思っていたのですが、視力が悪くて断念。その代わりに航空管制官になろうと、航空保安大学校を受験しましたが、2年連続不合格でした。そして北海道大学を受験するもののこちらも2年続けて失敗し、当時はかなり落ち込み、自信をなくしました。

結局、自分の第一希望でない武蔵工業大学(現・東京都市大学)に入学し、そこでも悶々とした日々を送ります。当時はバブル経済絶頂期です。大学の研究室にはリクルーターの先輩たちが毎日のようにやってきました。自分の実力や価値がなくても就職はできる状況。このまま自分が流されることに不安を覚え、自分の人生のあり方を見直し、大学院に進学して勉強することを決めました。大学院での専攻は超音波工学。担当教授が超音波工学の大家で優秀な人でしたが、研究テーマに関しての私の提案に耳を傾けてくださり、のびのびやらせてもらいました。

しかし、修士論文の提出1ヵ月前に、担当教授から私の研究テーマに対する問題提起と新規性の欠落の指摘(いわゆるダメ出し)があり、すべての実験と検証をやり直すことになりました。当時はなんて理不尽なんだと非常にショックを受けました。しかし、いまから考えると、人の心の機微や、物事の進め方の本質を学ぶことができました。私に足りなかったのは頻繁な連絡、報告そして相談でした。

私の研究の中で、頻繁にHP製の自動計測装置を取り扱う機会があり、素晴らしいシステムだと感銘を受け、HPという会社に興味を抱くようになりました。こうして、1992年に私は当時の横河ヒューレット・パッカード(現・日本HP)に入社したのです。入社前には、研究開発職を希望していたのですが、パソコン関連の部署に配属されました。当時、パソコンと言えばNECと富士通の天下で、HPのパソコンは1ヵ月に2台売れる程度。そのうえ、上長は他部署との兼任で、メンバーも3人しかいません。会社の中でのパソコン事業のあまりにも低い優先順位に、なんて部署なんだ、入社しなければよかったなどと、タラタラ不満を言うような不良社員でした。

ヨーロッパ駐在体験で変わった

入社2年目に、転機が訪れました。1人で海外出張をすることになったのです。1人なので文句など言う時間もなく、自分が何から何までやるしかなかったのです。当時の上長はいい意味の放任主義で、ガイドだけ出して後は自分で考えろというスタイルでした。

いま考えてもHPはすごい会社だなと思うのですが、入社2年目の若者が日本の代表としてHP本社の会議に臨むのです。サンフランシスコでレンタカーを借りて、パロアルトにある本社まで行く経験もしましたが、いま考えるといい想い出です。

前夜、徹夜でつくったスクリプトを下手な英語で読み上げて、出席者の皆さんには質問にはうまく答えることができないので、後で文書にしてくださいと宣言して、何とかその場を切り抜けました。

その後、フランスのグルノーブルにあるHPのパソコンのグローバルビジネスユニットに駐在する話があり、自分で手を挙げて異動しました。日本は単一民族で、同じ価値観で物事が進む心地よさがある。一方、やはり異文化を体験しないと、自分の仕事の幅が広がらないし、欧米社会で恐らく通用しないと漠然と感じていたからです。前述したように、入社時の英語力はかなりひどいものでしたから、英語教室に通い猛勉強し、実務で英語を使い続け何とか恰好がつくようになりました。しかし、フランス語はまったくできませんから、グルノーブルに行ったときは無力な幼児に戻ったような気持ちで、半年間はとても苦労しました。

赴任した国はフランスですが、オフィスにはヨーロッパ各国からの人がいました。ヨーロッパと言っても国ごとに人柄や物の考え方がまったく違うのだということをここで痛感しました。

例えば仕事を引き継いだオランダ人の先輩は190センチの背丈ですから、私は見下ろされているように感じました。そのうえに、直截的な物言いをしますし、絶えずイエスかノーを迫ります。議論も大好きで、私の歩き方まで議論の題材にされました。その代わり、決断力があり意思決定が早く、何でもすぐ実行します。また、私の上長はフランス人でした。彼はルーズな部分もありますが、創造力が豊かで、ルールなど無視する。ルールに則って動く日本人と違い、柔軟な発想を持つ人でした。これは、私にとって非常に新鮮な関係でした。『異文化理解力』(2015年、英治出版)という本で有名になった組織行動学者のエリン・メイヤー氏がつくった国民性を分類した「カルチャーマップ」があります。「感情的か理性的か」「対立を好むか回避するか」の4軸で分けていますが、日本人は理性的かつ回避的であるのに対して、フランス人は真逆の感情的かつ対立的です。オランダ人は理性的かつ対立的と分類されており、なるほどと思いました。

それぞれの国には独自の国民性があるわけで、ここはヨーロッパであるからといって、ヨーロッパ流をすべてまねる必要はありません。ただ、それを理解する必要はある。そのうえで、自分は日本人として(さらに言うと自分として)の個性で、堂々と表現すればいい。別に卑屈になることはないと気づいたのです。ただし、自分が胸襟を開かないと相手も開いてくれません。これは国民性ではなく、人間として当然のことです。

HP流を捨ててコンパック流に染まる

私はヨーロッパ駐在体験を通じて異なるものを受け入れる姿勢が大切だと痛感しました。これは経営という観点でも重要なポイントになります。

異なるものを受け入れることになった、もう一つの体験がHPとコンパック・コンピューターの合併です。

HPはシリコンバレーをつくったと言っても過言ではない会社で、明確なカルチャーを持ち、「HPウェイ」という企業理念を創業時から大切にしていました。人間尊重の理念で、「人間は男女を問わず、よい仕事、創造的な仕事をしたいと願っている」という考え方が根底に流れており、経営者の仕事はその環境をつくることだというのです。私もその考え方に共感し、HPという会社を好きになっていったのです。

ところが、1990年代の後半に、HPの成長力が落ちた時期がありました。もう一度会社を成長路線に戻すため、当時の取締役会がカーリー・フィオリーナ氏をCEOとして招聘する決断をしました。HP社始まって以来、初めての外部からのCEOです。

その再建の一環で、HPは2002年にコンパックを買収したのですが、両社はまったく文化が違うので、社員たちはとても戸惑いました。HPはおっとりしており、長期の事業計画を好むのに対して、コンパックは合理的で数字をもとにした判断を重視し、短期で決めていきます。

ロゴマークの色がHPは青色であるのに対して、コンパックは赤色だったので、自分たちの出身母体によって、社員は青組、赤組と呼ばれていました。私が所属していたパソコン事業はコンパック側にまとめることになり、HPのパソコン事業部の人たちはバラバラになりました。

当初は、HP流で仕事を進めようとしたのですが、誰も話を聞いてくれない。仕事にならないので、最終的には納得しないまま、自分のやり方を捨ててコンパック流に従うことにしました。青から赤に変わったわけです。だから、昔の仲間からは「魂を売ったのか!」と言われたものです(笑)。しかし、あれほどこだわっていたHP流もいったん離れると大したことはない。別に天地がひっくり返ったわけではありません。逆に違うやり方を学びました。その間、コンパック出身者も少しずつHP流を理解するようになりました。

私が担当したノートパソコン部門では、10万円を切るリーズナブルな価格帯の商品を出して成功し、部内の士気も上がりました。あえて自分を捨て、異なるものを受け入れることがいい結果につながったのです。

第二の創業期にあるアイロボットへ

HPではその後、上司の推薦もあって2006年に日本HP執行役員と米HP副社長になりました。2011年には日本HP取締役に就任しました。21年間ほど勤務し、社内の仕組みや人事システム、事業の立ち上げ・撤退などを学ばせてもらいました。

2013年には縁があり、ボーズの日本代表を務めることになりました。事業を成長軌道に戻すことがメインのミッションだったのですが、HPでの経験がとても活きました。ボーズはマサチューセッツ工科大学(MIT)教授のアマー・ボーズ博士が創業しましたが、独自の理論で生み出す人びとをリラックスさせる音を通じて社会に貢献することを理念としています。音楽の聴き方も大型スピーカーからコンパクトなイヤホンなどに変化しおり、時代の流れとともに商品ラインナップを大きく変えていきました。

ボーズには4年3カ月勤め、その後にアイロボットへ移ることになりました。ボーズもアイロボットもアメリカのボストン近郊に本社があり、アイロボットの中に数多くのボーズのOBがいて、そこからアイロボットで働くご縁をいただきました。

アイロボットは第二の創業期でスケールアップする時期に来ており、そこを関わることができるのはありがたいと思いました。もともとエンジニアですから、ロボットにも興味がありました。創業者のコリン・アングルと話をして、ロボットで世の中を変えていくと聞き、それはものすごく面白いと思ったのです。

私は創業者タイプではありません。コリンは私と同い年なのですが、起業家精神溢れる人で、創業者と一緒にリアルタイムで仕事をするのは初めてなのでワクワクしました。

リーダーの役割は存在価値を問うこと

いまは大きなチャンスの時代だと思います。常識を覆して新しい価値が受け入れられる時代であり、日本人は環境の変化に対して適応するのが得意なはずですから、メリハリをつけた取り組みができると思います。また、大手企業の中でもスタートアップ企業を取り込む動きがあります。大組織とスタートアップがうまく化学反応を起こせば面白いことができるでしょう。

イノベーションが世の中を変え、暮らしを豊かにします。歴史をひもといてみても、イノベーションが世界を引っ張ってきたのは事実です。それが世の中のエネルギーの源泉になっています。

そのためにはリーダーシップが重要になります。経営者は自分の会社や事業がなぜ存在するかを問う必要があります。ただ、モノをつくって売るだけでなく、どのように社会に貢献し、それをどのように社員の心のよりどころに持ち上げていくか。つまり「会社の方向性を定める」、それが経営上、最も大事です。
「この会社で働いていて楽しい」と家族に胸を張って言えるか、いかに情熱を持って語ることができるか、それが企業の生き生き度や価値を決めるのです。

私が個人的に恵まれていたと思うのは、HPでもボーズでも明確な企業理念があり、これをベースに勉強させてもらったことです。アイロボットも同じです。会社だけでなく、自分自身の存在価値にも関わるので、自分がその理念のために貢献できることは何か、腹に落とすことが必要です。言いかえると、「自分ごと化」して自分の頭で考えることです。

そして、確信を持った存在価値についてはトップ自らが発信していくことが大切です。

もう1つ、リーダーに問われるのが、「何をどうやってやるかを決める」こと。会社を発展させるには当然ながら事業をどうするのか決めなければなりません。さらに推し進めるのか、撤退するのか、世の中の流れや顧客の声などを聞いて決めるのはリーダーにしかできません。それがリーダーの醍醐味なのです。当たり前だと思われるでしょうが、意外とこれができないトップが多い。決めずにダラダラと様子見をしてしまうのは最悪です。

決め方には個性があるので、トップダウン重視でもボトムアップでもいい。自分自身はボトムアップ型だと思いますが、あるとき部下に「なぜ決めてくれないのか」と問い詰められたことがあります。やはり、部下とは丁寧に対話をしないといけないと思いました。トップが部下にもよかれと思っていても、対話がないと組織のトップと現場が乖離していきます。

最後に「決めたことを実行する」のが、リーダーの最大の役目。目的を遂行する時間の8~9割を実行が占めるでしょう。難しいですが、一番面白いとも言えます。「こうやるぞ!」と決めて宣言しても、1回では人には伝わりません。少なくとも100回は繰り返し、「もう言わなくてもいい」と相手が言うまで言い続ける。自分が思っている以上に自分の意図は伝わっていないと思って、しつこく会話や対話を続けるのはとても大事な基本動作です。

また、自分の思いや希望だけで相手を判断しないことです。特にかわいがっている部下だと自分の思いをわかってくれていると思いたくなりますが、ときには正面からぶつかり合うことも大事です。そうしないと、人の腹には落ちないものです。

実行には「理」と「情」が必要です。情熱を持ってどれだけ人と関われるか。その一方で、理に基づいた意思決定をしたら妥協してはいけません。場合によっては長年付き合ってきた部下と袂を分かつ必要もある。

人生は失敗しても成功しても1回限り。1回失敗しても終わりではないので、チャレンジすればするほど大いなる学びができる時代です。読者の方々には、ぜひリーダーシップを発揮して、世の中にイノベーションを起こしていただきたいと願っています。

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